まだ豆売りのみ8坪の店舗を構えた頃からの方です。
陶芸家の方で珈琲豆の欠点豆を釉薬に使って頂き販売もしました。
お店も豆売りだけなので1人でやっていて時間にも余裕があり、その方の
知り合いのロウケツ染めのお婆ちゃんとよく一緒に過ごしたものでした。
今回のコロナ騒動で葬儀も家族だけで行うとのことでしたので
落ち着いた頃お線香をあげに行こうと思います。
開店日の前日に準備をしていたら若い男の子が来て
「シアトルのコーヒーは売ってますか?」と行って来ました。
バッハの番頭さんが一緒にいて準備をしていたのでその方に説明をしてくれ
ここは自家焙煎の珈琲屋だということを理解して頂きました。
コーヒー豆販売店という考えの方が多く、自家焙煎はまだ知られていなく
珈琲豆の生豆を煎るということに理解してもらえるまで時間がかかりました。
シアトルコーヒーとはその後日本でも人気になっているスターバックスのことで
アメリカに行った時に飲んだ忘れられない珈琲だったそうです。
この方がガリオンの店舗で初めてのお客様です。
今は千葉県の方に引越しをされています。
この頃豆売りはインドネシアの「ガヨ・マウンテン」が大人気で
ガヨにガリオンを立ち上がらせてもらったと思っています。
豆売りを4年間やってからコンテナで喫茶店を初めて客層がまた変わり
飲むだけで珈琲豆を購入しない方が大勢増えました。
基本ガリオンは珈琲豆屋ですので気持ち的に葛藤がありました。
そんなころに凄くダンディな方が奥さんと来店してきて
珈琲を飲まれていたのが「三国連太郎」さんでした。
今思えば光栄なことで貴重な時間を経験させて頂きました。
昔の大型自転車に乗ることが出来ないのに強風の中引きずりながら
来店してきてアイスコーヒーを注文、一言も話さずにお出しすると
一気にストローで飲みほし、また引きずりながら帰っていく
お爺さんもいました。名前も知らなかったのですが亡くなって
2~3日頃にその方の近所の方が知らせてくれお悔やみに行きました。
コンテナ時代は喫茶営業が初めてだったので印象に残る方が多く
こんなにいろんな考えを持っている人が沢山いるんだ!と
感じた時代でした。
毎日、開店から閉店まで4回も来てウインナコーヒーばかり飲んだ方
体にあまり良くないですよと他のコーヒーを進めたらアイスコーヒーに
なりそれからず~~~とアイスコーヒーになりました。
今はガリオンブレンドとアイスコーヒーを交互に飲んでいます。
アイスコーヒーのストローを口の中でクシャクシャにして
しゃぶっている方、アイスコーヒーのミルクを何回もお替わりする方
あれもこれも全部「おじさん」達です。
それ以来アイスコーヒーを飲む方々にトラウマが出来上がり
アイスコーヒーの値段も高くしていますが、1年中アイスコーヒーの方も
何人もいます。自家焙煎珈琲屋に来ているのだから他のコーヒーも
飲んでいただきたいと思うのですが・・・・
今の店舗になって10年以上になり4回建て直しを繰り返したのですが
もうここが最後の場所になると思います。
「いちご家のオヤジ」のようなキラクターの方も もう居なくなりました。
働けなくなるまでこのまま平和で過ごしていきたいなぁ~
{コーヒー情報}
*珈琲豆は全部揃っています。
じゃあまた。